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三浦大知 2018.12.23「球体」独演 YouTube Premieres を見た

三浦大知-2018.12.23「球体」独演-アイキャッチ
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本日夜、なんとなくTwitterを開いたらこんなツイートがTLに流れてきた。

ちょっとまてよ、と。
この「球体」ってネームとヴィジュアル、どっかで見たな。

んで気になってリンク先に飛んだところ、なんと三浦大知の「独演」をプレミア上映だってさ!

三浦大知 2018.12.23「球体」独演 YouTube Premieres を見た

こりゃ見るしかないよね。
だって三浦大知、好きだもん。

5分前から正座待機。
そして21時にスタートした、独演。
約2時間、あっという間だった。体感30分。

こりゃやべェよ!
オラ、鳥肌立っちまったゾォ!

終わってまず、ひとつの映画を見終えた感覚。
それも軽いアメコミみたいなんじゃなくて……そうだな、強いて言うなら「八日目の蝉」を観た後みたいな…。

押し寄せてくる感情が、結構な荒波。
ひとしきりの感動が胸を埋め尽くしつつ、心の奥深くはしんと静まりかえっている。
心はザワついているのに、脳は静かに覚醒している気分。
なんだこりゃ。

ってまずわたし、大知くんの「球体」を聞いていなかったんだよね。
(「球体」ってのは三浦大知の最新アルバム)

だから、その「球体」を冠した独演と言われてもピンとこなくて、単純に大知くんがその超絶ダンスを見せまくってくれるのだとばかり思っていた。
でもそんな次元じゃなかった。

「球体」に収録されている曲をその世界観を、音と映像と光と歌唱とダンスで、表現しているのだ。それがまた、単なる「パフォーマンス」なんていう軽い一言で表していいのか……

彼の表現者としての厚みと多面性を見せてもらった気がする。
特に、雨の中、傘をさしていたあのパフォーマンス、飛行船のあの曲のパフォーマンスが最高で震えた。

それとこの「球体」の楽曲がめちゃくちゃいい。

三浦大知の曲というと、そのダンススキルを遺憾なく発揮するため、ハッキリした音とテンポのイメージがあったので、アルバム楽曲もそんな感じだと思っていて手を出していなかったんだよね。

それがこの凄み。ダンスミュージックとは言えないような、スローで静かな静かな曲たち。内側から煮えたぎってくるような曲たち。静寂と慟哭。

わたしこの後、「球体」聴きます。しっかり聴きます。

そういえばいつも拝読しているブログ『kansou』で書かれていた、このエントリーを思い出した。

三浦大知のアルバム『球体』聴いてたら車に轢かれかけた – kansou

通勤中、歩きながらSpotifyで三浦大知のアルバム『球体』聴いてたらそのまま気持ち良さで意識トびそうになって目の前の赤信号に気づかず危うく車とEXCITEするところでした。

うん。たぶんわたしもそうなる。それぐらい、この独演の曲の良さは絶対的だった。

あとね、三浦大知がこの独演をやろうと思った理由を推測できる言葉も、同じく『kansou』のかんそうさんが書かれていた。

っていうのもこの『球体』は全17曲の集合体なんですけど、その一曲一曲がひとつなぎに繋がってるもんだから普通のアルバムを聴くときにやりがちな「好きな曲だけかいつまんで聴く」的なことがまぁ、できない。
(中略)
でも、それが『球体』っていっこのボールの中に入ることで、イワシの群れが一匹のバカでかい魚に見える、そういうとんでもないパワー感じるし、単体で聴くとボヤッとしか見えなかった曲の輪郭みたいなものがハッキリとわかる気がしてくる。それこそ能とか狂言を観たときの「なんかよくわかんないけどわかる」っていう感覚、言語レベルの理解じゃなくて、本能レベルで感じる理解。

これ。
三浦大知がこの独演をしようと思ったのは、これだと思う。

「球体」は17曲全てが集まって初めて「球体」という世界が出来上がる。
そしてその切り離すことのできない世界観を、こうやって音と映像と光と歌唱とダンスで余すことなく表現したかったのではないかと思うのです。

余談だけど、わたしはやはり三浦大知のダンスがすごく好きだと再確認した。
三浦大知は、欲しい時にその音を取ってくれるから、ものすごくハマった感覚がして最高に気持ちがいい。

そして、「この音で着地しているためには、どれだけの筋肉を使い、どのタイミングで跳躍すればいいのか」を完全に把握している。何ていうか、重力さえも味方につけているよね、本当に。

そんな彼の身体の、一瞬の躍動と制御力を想像すると、ゾクゾクしちゃうのだ。

とりあえず、「球体」聴きます。
そんで、車とExciteしそうになってきます。

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