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音楽についての私的新考察。音楽は『希望』であるという、答え。

音楽についての私的新考察。音楽は『希望』であるという、答え。
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音楽を聴いていて、泣いたことはありますか?

わたしはあります。

先日、Web上のとある記事を読んでいて、「音楽を聴いて泣いてしまう現象」に対するひとつの答えを教えてもらいました。
そしてそれを受け、自分でも思ったことがあったので、このエントリーを書くことにしました。

 

ROCKIN’ON JAPAN編集長:山崎洋一郎氏のブログで答えを知る

時々、「ROCKIN’ON JAPAN」という音楽雑誌を買います。

なぜ時々なのかと言うと、今現在は雑誌を買ってまで知りたいと思うアーティストが、ほんの一握りになってしまったから。

そしてなぜ「ROCKIN’ON JAPAN」なのかというと、「ROCKIN’ON JAPAN」には定番の「ロングインタビュー」(よく▲万字インタビューなどと題されていたりする)という企画があるので、好きなアーティストのロングインタビューが掲載される時に買うのです。

「ROCKIN’ON JAPAN」のロングインタビューは、インタビュアーがアーティスト自身とそのアーティストが表現しようとしている世界を熟知していて、双方の歯車がガチっと噛み合っていると感じるものが多くて、個人的に信頼を置いています。

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とまあこれは余談でした。

 

とにかくその「ROCKIN’ON JAPAN」の編集長である山崎洋一郎氏のブログを読んだことで、「音楽を聴いて泣いてしまう現象」の答えを知ることができた気がします。

1月15日の、”音楽はなぜ「希望」なのか“と題された投稿がそれ。

こちら▷ 【コラム】音楽はなぜ「希望」なのか | ロッキング・オンの音楽情報サイト RO69

全てにおいて無駄な言葉がないミニマムな投稿でありながら、内容はマキシマム。
中でもドキっとした部分が2か所ありました。

もし、ある音楽を聴いて光が見えたとしたら、それは音楽が光っているのではなくて(音楽は音であって光ではない)あなたの中にある光が呼び覚まされたのである。
もし、ある楽曲を聴いて美しい光景が見えたとしたら、それはあなたの中にあった美しい光景が呼び覚まされたのである。
もし、ある歌を聴いて感情や力を感じたなら、それは全てあなたの中にある感情や力が呼び覚まされたのである。

フェスや野外でのライブ(つまり、昼間でお客さんの顔がよく見える会場)で、ステージを観ながら泣いている人を見ると自分も泣けてくることがある。

その人はきっと、自分の中にずっとしまっていた美しい感情や光景が音楽によって呼び覚まされて、涙を流しているのだと思う。
ステージの照明やそこに立つアーティストの表情やシルエットは美しいけど、でも実はその人は自分の中にある光や美しい光景に瞼の奥で出会っているのだと思う。
音楽によって、本当の自分と会っているのだと思う。
その喜びに涙が流れてくるのだと思う。

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the HIATUSの「Insomnia」で泣いた

今まで、音楽を聴いて泣いたことが複数回ありました。

一番最近でいうと、中津川のフェスで初めてthe HIATUSの生音を聴いた日で、「Insomnia」を聴いた時でした。

このエントリー(▷ the HIATUS:5th album 「Hands Of Gravity」 によせて #1 )でも触れているのだけど、「Insomnia」はthe HIATUSの細美武士を好きになった曲であり、今でもなお、わたしの中で特別な曲。

前述のフェスでは、初めてthe HIATUSの生音そして細美武士の生声を聴けたことがうれしくてうれしくて、跳びはねながらライブを楽しんでいたのに、この曲のイントロが流れると同時に、涙が溢れて止まりませんでした。

【中津川ソーラー武道館 2014】初の生the HIATUSに興奮と感涙。-アイキャッチ
【中津川ソーラー武道館 2014】初の生the HIATUSに興奮と感涙。中津川ソーラー武道館2014 the HIATUS the HIATUSさいこーだった。 ちょうど太陽が夕日に変わりだす頃、待ち...

その涙は、ずっと好きだった細美武士を初めて肉眼で見、そして生の歌声を聴けた嬉しさからきた分もあるのだと思う。

けれどそれとは別に、あの瞬間は胸の奥がクシャっと握り潰されたような感覚がして、まるで息が詰まったように苦しくて、こみ上げるそれを抑えることなんてできず、全てを吐き出すように流れ出した気もしていました。

今まであの涙をどう表現すればいいのか分からなかったのだけれど、引用した山崎氏の言葉でハッキリ自覚が出来た。

自分なんてと自分を否定し続けていた青い日々。
苦しくて苦しくて、なぜでてくるのかすらわからない涙を流していた日々。
何かを渇望しているのにそれが何なのかはっきりわからなかった日々。
そして欲しいものが何なのかわかった後も、手にできなくて絶望していた日々。

そうだったんだ。
あのフェスで「Insomnia」を聞いた時、そんな日々がフラッシュバックしたんだ。

自分の中に閉じ込めていたあの渦巻く苦しかった日々そして、葛藤する感情。それが「Insomnia」で呼び覚まされたんだね。あの瞬間、今より青い頃の自分に、逢っていたんだね。

あの頃の自分の代わりに、今の自分が泣いていたんだ、きっと。

「Save Me」って。

Insomnia

Insomnia

  • the HIATUS
  • ロック
  • ¥200
  • provided courtesy of iTunes

▲YouTubedでは公式のものがなかったので。
 イントロで終わってしまうので、しっかり聞きたい方は検索してください。

宇多田ヒカルの「光」で泣いた

他にも鮮明に覚えている泣いてしまった曲があります。

宇多田ヒカルの「光」

「Insomnia」が苦しい時の自分を呼び覚ましたのであるとすれば、「光」はまさにその苦しみから脱する希望を呼び覚ましたのだと思う。

ずっと欲しかったものを、いつか手にするんだ。
ずっと見たかったものを、いつか見るんだ。
ずっと行きたかった場所へ、いつか行くんだ。

そうやって、希望を、一筋の光を見た気がして、涙がでてきたのを覚えています。

 

音楽は・・・・なに?

わたしは、音楽は自分に潜ることのできるひとつの手段、だと思っています。

誰かが書いた歌詞に、誰かが作った音に、共感したり感情を揺さぶられたり代弁してもらったりする。

それと同時に、なぜ自分はそう感じたのかを、無意識に考えてしまう。
そして巡り巡って、自分の感情の終着点を知る。

ああそうか。
自分はこんなことを思っていたのか。
こうしたかったのか。
こうなりたかったのか。

なんてことに、初めて気づいたりする。

そしてそんな終着点に導いてくれた曲こそが、その人の「希望」の音楽になり得るのだと感じています。

山崎氏は、コラムをこう閉めています。

音楽自体はただの音=空気の振動である。その空気の振動は、聴いた人の心の中の光や感情や力を呼び覚ます。

その光や感情や力で、人は前に進むことができる。
いつだって、それこそが希望だ。

なくても生活には困らない。

けれど、たった一つの音楽が、自分の人生を支えてくれることがあったりもする。

音楽は、自分を知ることができるからこそ、美しく楽しい。

 

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